旅にいざなう本「瀬戸内海モダニズム周遊」
「MUJI BOOKS」さんの「本人」というコーナーで
ぼくが「旅にいざなう本」として紹介した本を順番に取り上げています。
(この企画の主旨説明はこちらへ)
小さい頃から、ずっと持っていた疑問があります。
瀬戸内海のパンフレットなんかに書かれていた
瀬戸内海を意味する英訳=「The Inland Sea」について。
意味的には「陸地の中の海」なので、間違いではないのだけど
日本人が自らつけたものとしてはシンプルすぎる。
なぜ「Seto」がつかず、単に「The Inland Sea」なのか。
事実上、日本で、これだけの規模を持つ「島に囲まれた内海」はないのだから
「The」でも間違う可能性はないのだけれど、
それでも心の片隅に、ずっとひっかかっていたのです。
瀬戸内海が国立公園に指定されて80周年を迎えた2014年。
出版されたばかりのこの本を読み始めて、ぼくの前述の疑問は氷解します。
「瀬戸内海」という概念は、少なくとも江戸時代中期まで、
従来の日本にはなかったといいます。
瀬戸内海は太古の昔より、海運の「銀座」ともいえるほど
航路としては慣れ親しまれていたけれど
1つの「瀬戸内海」という意識はなくて
和泉灘や播磨灘、備後灘、安芸灘など、
各地域の狭い海域の概念が連なっていると捉えられていたらしいのです。
その概念を変えたのが、日本を訪れた外国人の人々。
医師や学者として有名なシーボルトをはじめとして、
「シルクロード」を命名したドイツ人の地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンなど
さまざまな外国の方が、瀬戸内海の多島美を「風光明媚な美しい日本の内海」として紹介する過程で
「The Inland Sea」という名称が定着し、
それを日本の地理学者が「瀬戸内海」と訳したのがはじまりとあります。
今では、観光的な意味も、地域交流的な意味も含んで、
このエリアを「瀬戸内」と統一してとらえる動きに拍車がかかりつつあるけれど
(そういうアイドルグループまでが生まれるという時代になりつつあるけれど)
その価値観のはじまりは、
外からの目だったというのは、何となくありそうなことだなぁと思います。
これだけの広い海、生活している人にとっては「一つ」には見えないからね。
ぼくが育ってきた過程でも、広島は広島、愛媛は愛媛という感覚が強くて
「瀬戸内」という感覚は薄かったという記憶があります。
30代にその範囲を営業範囲としてた地元出版社の社員として
山陽と四国地方を出張で飛び回っているうちに
「ああ、ここは瀬戸内地方と呼ぶ方がしっくりくるかもなぁ」と
少しずつ実感したことを思い出します。
俯瞰で見えるものってきっとあるはず。
そして、これからは「瀬戸内は一つ」であることが、価値になっていくんだろうと思うのです。
それはたぶん、喜ばしいことじゃないだろうか。
そういう視点でいえば「せとうちスタイル」の方向性にも期待しています。
さて、そんな「瀬戸内」の旅を、時間をさかのぼって楽しめるのが、
この本「瀬戸内海モダニズム周遊」なのです。
上述のような、瀬戸内の成り立ちをイントロダクションとして、
その後は、明治期から戦前までにつくられた、
瀬戸内の船旅に使われたガイドマップ、パンフレット、広告、絵葉書を取り上げながら
瀬戸内の移り変わりを説明していきます。
まるで時間を旅行するかのように、過去の瀬戸内旅を追体験。
戦争で消されてしまった、瀬戸内にかつてあったモダンさを垣間見ると
まだまだ、瀬戸内にはいろんな可能性が潜んでいるのかもしれないと思うのです。
じつはぼくの曽祖父は、大阪と広島を結ぶ船の船長だったそうです。
何一つ、曽祖父を示すものは残っていないけど、
この時空を超えた旅をしながら「瀬戸内」を、かれも発見したんだろうかと。
ふと、考えます。
●瀬戸内海モダニズム周遊
著者:橋爪紳也
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