しおまち書房は、広島で編集ディレクション・文章作成を行う小さな制作事務所です。
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竹田道哉が訊く「久保浩志」インタビュー その1

久保です。このサイトをごらんいただき感謝申し上げます。

この「しおまち書房」という名前が、新しい意味を持つ日が来ました。
これまで「個人ユニット」という名目で活動してきましたが、6月1日より、
ぼくの個人事務所としてスタートすることになりました。

その意味合いや方向性について、最初はじぶんで説明を書こうと思いましたが、
長い説明の文章よりは、インタビュー形式のほうが伝わりやすいだろうと思いまして、
『ひろしまスケッチブック』著者の竹田道哉さんに、インタビューをお願いしました。

それでは、下記よりそのインタビューをお読みください。

自費出版 しおまち書房 「書房=書斎」の光景
■竹田道哉が訊く「久保浩志」インタビュー その1

●竹田:「しおまち書房」を主催されている久保さんには、昨年、自費出版(『ひろしまスケッチブック』)でお世話になりました。
この春、勤務されていた印刷会社から独立され、「しおまち書房」を個人事務所に変更して、本格的に活動を開始されるということで、どのようなことを考えておられるのか興味津々です。

今年の1月には、作品展を控えたぼくの心境をインタビューしてくださったのですが、今回は立場を逆にして、ぼくの方から新たな一歩を踏み出された久保さんにお話を伺っていきたいと思います。

久保さん、よろしくお願い致します。

●久保:よろしくお願い致します。
最初は自分自身で今後の方向を書こうと思っていたのですが、インタビューという形の「可能性」や「重要さ」「客観性」を最近考えてましたので、そこで竹田さんに第三者目線でインタビューしていただくことをお願いすることにしました。

●竹田:まずは、長年のお勤め、おつかれさまでした。

はじめに、会社に勤めておられた頃のご経歴をお聴きしたいのですが。
最初にお勤めされたのは、何年頃ですか?

●久保:1991年の大学卒業の年ですね。じつは社会人になる前、大学時代にキャンパスマガジンの編集をしていました。学内をあれこれ取材したり、付近のお店を回って広告を出していただいたり・・といった感じです。

大学祭のイベントをやったりもしまして、このときの「みんなで協力して、今はないものを形にする」楽しさがずっと心を離れませんでした。

卒業後、親のススメで堅実な会社の経理の職に就いたのですが、大学の時の経験が忘れられず、結局1年を待たずに地方の出版社に転職しました。

●竹田:編集者であると同時にまち歩きをされる方だというイメージがあるのですが、お若い頃からそういう活動をされていたのですね。
出版社にお勤めされてからは、どんなことをされていましたか?
久保浩志近影 この書斎を「書房」と呼んでいます。
●久保:17年勤務しましたが、編集系のほぼ全般ですね。求人情報誌、住宅情報誌、グルメ情報誌など、おもに情報誌系の編集をずっとやっていました。

入社して7~8年ぐらいから、会社が大きくなっていく時期でもあったので、新規立ち上げの仕事が増えていきまして、創刊のお手伝いとか、社内にデザインプロダクション的な部署をつくったり、取次を通しての書籍出版、DTP化の整備など、何かトライすべき新しいジャンルの話があるときには担当になる・・というふしぎな役回りでした。

●竹田:ライターと言うよりも、人と人の間を取り持って、動きまわる、という感じですか?

●久保:むしろ、最初はデザイナーでしたね。そこからディレクション的な方向に進んでいき、文字どおり、いろいろな役割を組み合わせて仕事をする方向になっていきます。コピー・ライティングはその後ですね。

●竹田:デザイナーということは、イラスト等も描かれておられたんですか?

●久保:最初は・・・そうですね。モノクロの求人広告のカットですけど。でも自信はないので、いつも人に頼んでいました。頼むときはイラストのラフをざっと描いて見せるのですが、ある女性スタッフ(現在はフリーのデザイナー)が面白がって、それをそのまま使ったこともありました(笑)。

●竹田:なんか、楽しそうですね。その後はどんな感じでした?

●久保:90年代の後半からは、ちょうどインターネットが普及し始めていく頃でした。「文系的なものと理系的なものがわかる・・・」タイプでしたので、だんだんと出版物とネットの連動や、ホームページの設計、社内の情報システム開発の要件定義から開発指揮などもしていました。

その後、2009年に、インターネット部門を立ち上げるという印刷会社へご紹介いただいて、そこに転職し、おもにネット販売の効果アップという切り口で仕事をしていました。

●竹田:そうですか。
そこでは、本など紙媒体の編集も行われてはいたわけですね?
昨年、自費出版でお世話になったんですけれども。

●久保:そうですね。両方やりました。

●竹田:『ひろしまスケッチブック』という本の出版に際して、編集者として関わってくださったうえに、ISBNコードというのを取得してくださったのは、とても助かりました。
そのときにはじめて「しおまち書房」という名前をきいたのですが。

「ひろしまスケッチブック」発売記念キャラバンのヒトコマ・・写っているのが竹田氏
●久保:「しおまち書房」は、そもそもは「出版社」や「本屋さん」を意識して考えた名前じゃないんですよ。

発端は、印刷会社でネット制作の部署を立ち上げて、営業活動のために交流会にたくさん参加していた2010年頃。異業種交流会などに参加すると、会社とは別の名義をお持ちの方が数名おられました。個人会社と勤務先を使い分けて仕事を受けているケースが多々ありました。

そこでもし、自分が個人の事務所を持ったら、どんな名前がいいだろうと、冗談半分で考えはじめたのです。その時は独立のつもりもなく、会社の仕事の「援護射撃」的な意味合いで、編集・企画事務所というイメージでした。

名前は、最初はよくあるカタカナの「〇〇コミュニケーションズ」みたいなものを考えていたのですが、日本語にしたい、瀬戸内らしいものにしたい・・・という主旨で、「〇〇書房」で考えはじめました。「書房」という言葉を漢語辞典で確かめると、「書斎」という意味もありましたから、これでいこうと。

最初の候補は、某映画を参考に「かもめ書房」だったのですが、リクルートをイメージすること(笑)、三重県におなじ名前の本屋さんがあったことで断念しました。「夕凪書房」という案もありましたね。

30種類ぐらいの案から「しおまち書房」としました。瀬戸内の港の「潮待ち」ですね。文化の潮流を待ちながら動く・・というのは自分らしくも感じました。

ちょうどその頃、『ひろしまスケッチブック』の編集作業の時期に、急きょ出版社名が必要となりまして、タイミングよく「しおまち書房」のロゴマークを知人がつくってくれたので、そのまま前倒して「出版社」として使ってしまいました(笑)。そこから、人生の潮の流れが渦を巻くように変わっていきました。

「しおまち書房」ロゴ検討中のラフ原稿

「しおまち書房」ロゴ検討中のラフ原稿

●竹田:猫のイラストのついたロゴマークはかわいいですね。

『ひろしまスケッチブック』を出版したときは、真っ白な状態から相談して、一緒に本を創っていくという感じで、こちらの想いをうまく引き出してくださいましたね。取材に付き合ってくださったり、出版後も本を広めるためにいろいろとサポートしてくださいましたし。

「しおまち書房」のお仕事も、そのようなことをされることになりそうですか?

●久保:『ひろしまスケッチブック』を出版した頃、実際に出版社を経営されている方から「個人出版社は利益欲しさにどんな本でも出すことが多いけど、それはブランドイメージが悪くなって悪循環に陥る。ブランドを守れ」とアドバイスをいただきまして。なるほどと・・・。

その頃は、出版だけで独立する・・・ラインも考えていたんですが、地方では自費出版は、それほど本数があるわけではないので「ブランドを守る」ために、出版以外の仕事・・・つまり、今までやってきた、ネットの制作や運営のお手伝い、編集・ディレクション、コピーライティングなどの仕事も継続することにしました。

出版に関してですが、編集・制作は、これまでの経験と様々なコネクションでサポートできますが、「流通」ができる本物の出版社ほどの力は今はないんですね。正確には編集プロダクション+出版。

でも、これも「インターネット販売」や「委託販売」「イベント販売」という方法をつかえば、「自費出版・リトルプレス」のお仕事は進めていけると思っています。ただ受けて印刷するだけの「自費出版」よりは、プラスアルファがある・・と考えていただくといいでしょうね。

『ひろしまスケッチブック』の時、一般的に印刷会社の自費出版としては「制作~印刷」だけを手がけることが多いんですが、ぼくの勝手な判断で「印刷前の企画や取材」「印刷後の宣伝や販売」も自腹で手掛けることで、実験というかマーケティングをさせていただきました。

だから「出版」の分野に関しては、背伸びをせず、ご縁があったものを、大事に一つずつ進めるつもりです。
「ひろしまスケッチブック」校正中の写真
●竹田:親身になって、相談に乗ってくださいまして、どうもありがとうございました。
本だけではなく、竹田道哉という人間も合わせて売り出すというようなことを考えてくださったように思います。

じっさいに本を出してみて、地方からの出版・発信はなかなか難しいような気がしました。
インターネットを絡めて考えると、その辺の状況も変わってくるとお考えでしょうか?

●久保:そうですね。そういう動きが、いま全国であります。それを確かめたくてリトルプレスやzinを販売されている東京や大阪の店舗や、最先端のニューヨークまで見に行きました

商売として大成功する自信はさっぱりありませんが(笑)、企画性や客観性を持った「本」をつくり、ネットを絡めると、じわじわと見てもらえる・・ということは可能じゃないかと思っています。

●竹田:一般人でも、自分の思いを発信できやすくなっているんですね。
ところで、独立という道はいつから考えられたんですか?

会社員として働いているうちに、独立への潮が満ちてきたという感じでしょうか?

●久保:そうでもないんです。むしろ、仕事というよりも人生について考えるようになったんですよ。東日本大震災とかもあったし。仕事は、そのままがんばったら、いろいろといい感じになるのかな?・・という段階になっていたんですけど、その反面で、人生はこれでいいのかと。そこで、1年ぐらい前から、知り合った経営者や独立した方、フリーの方にお話を聞く機会を増やしていきました。

独立という方向を選んだのは、これにはいろんな要因が絡まっていて、とてもひとつの理由では説明ができないですね。大きな意味でいえば20代ぐらいから、ずっと「もし独立したらどんな方向になるんだろう」と、さまざま局面で考えていたのも事実です。もし、簡単な一言に要約するなら、「横に倒したかった」ということです。

●竹田:「横に倒したかった」?

●久保:「横に倒したかった」という表現は、米田智彦さんの本からの引用なんですが、これには2つの意味があります。

一つには「人生のキャリアを横に倒す」という考え方。1年間、いろいろな方に取材ではないけれど仕事への考え方をお聞きしたり、それに関する本もたくさん読んだりしていて、だんだんとある想いが出てきたんです。

昔は、定年まで特定の仕事に集中して、やりたいことも我慢して勤めあげてから、その後の第二の人生を余暇的に過ごす・・という考え方があったと思うんですが、それは高度成長以来できあがった<ある時代>のスキームですし、個人で動くためにはできないことや制約もたくさんあった時代の考え方だと思うんですよね。今は、「ノマド」って言われているように、いろんなインフラも整備されているし、個人からの発信もできやすい。一方で、年金制度や医療制度もだんだんとむつかしくなってきて「余暇的」な晩年も保障されていない・・・。定年制の弊害的な現象も、いくつか見かけるケースがありました。

だから、「老後にとっておく」のではなくて、それこそ「今でしょ!」(笑)って、個人活動をしたり、副業をしたり、独立したりという人が増えている・・・そのことに気づいたわけです。

●竹田:たしかにそうですね。
まわりに「フリー」の方がたくさんおられますよ。ぼくもそうですけど(笑)。

「書房」の光景 


●久保:ぼくの場合、いま45歳ですが、子どもの頃からやりたいと思っていたことが、まだ半分ぐらいしか経験できていない。
もう遅いかもしれないけど、だったら、それに手をつけやすくする。つまり、キャリアを縦に重ねるのではなくて、複眼的に横に並べて、その分70代ぐらいまで働けるようにする。そういう考え方なんです。

そうやっていろんな方にお話しをお聞きして、ぼんやりと思っていた流れなんですが、米田智彦さんの『僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方』という本に、そのまま論理的に書いてあって、やっぱり同じことを感じている方がいるんだ・・と、ちょっとほっとしました(笑)。興味ある方はぜひ読んでみてください。そういえば竹田さんの動きも、まさにこれに近いですよね。

●竹田:生活を横に倒してしまわれて、後悔とか心細い気持ちというのはありませんか? ご家庭や知り合いの人達からの声も気になるということはないですか?
その辺りについてはどのようにお感じになっておられますでしょう?

●久保:正直なところ、不安はあります。
今の自分の職種(ディレクションや編集分野)での独立というのは、地方ではあまり例がないもので、おそらく本当の事業化までには紆余曲折があるだろうなと。

また、出版関連も本当は「作るところから売るところまで」・・つまり、リアルな書店まで手掛けることができれば、表現をしたい方に向けた流れを作れるんじゃないか・・と思ったりもしますが、1年間調査をした結果、今のところ採算のイメージがわかないんですよね。

それらの想いと、自分の人生をこれからどうしたいかを考えた結果、ある意味で「公開実験」のような感じで、取り組みをオープンに見ていただきながら・・模索というかマーケティングというか、そんな期間が必要だと気づいたんです。それを60代からやっては遅いし、また企業内でやろうとすると、数字のコミットメント(宣言)が必要となるし・・・まあ無理ですよね(笑)。絶対的なコミットメントよりも、たとえばこれから進めていくプランごとに、賛同いただけるスポンサーさんについていただくという方法も模索してみたい。

だから、今はいろんな経験をしようと思っています。イベント的なものも考えているところですし、これまで忙しさにかまけて逃げてきた家事や料理も、奥さんから教わってやり始めています。せっかくの機会だから今まで疎い分野にもできる範囲で手をつけてみよう・・という想いですね。もう一つの理由として「草食男子」と呼ばれる若い層の方々の気持ちをわかりたいというのもちょっとあります。このへんの日常の想いはおいおい、またブログ等で書いていくことになるでしょうね。

●竹田:なるほど。面白そうですね。ところでもう一点の「横に倒す」はなんでしょうか?

●久保:これは具体的な仕事・職域の話になります。いろいろと説明が必要な話ですので、次回に話させていただいていいですか?
「ひろしまスケッチブック」設計ラフ案より

●竹田:それでは、その件に関しましては次回に譲ることにしまして、少し久保さんご自身のことについて伺いたいのですが。

フェイスブックへのご投稿などを拝見すると、相当な読書家のようにお見受けしますけれども、子供時代から図書室に入り浸るような感じでしたか?

●久保:落ち着きのない子どもだったので、毎日怒られてました。ただ、我が家では本を読んでいたら「勉強してる」と思ってくれるので怒られない・・ということに小学生の頃に気づきまして(笑)。で、本をたくさん読むけど、本当の勉強や宿題はしていない・・という、そんな子どもでした。

広島市の児童図書館(現在はこども図書館)が、丹下健三さん設計の「きのこ」のカタチだった時代ですが、毎週そこに通って本を借りてました。借りた本を持って、となりの県立体育館の食堂で、まるでボンカレーみたいなライスカレーを食べて帰るというのが休みの過ごし方でした。

それが中学ぐらいまでで、そのあとは千田町(旧広島大学)の古書店街を毎日のように回っていましたね。

●竹田:とくにお好きな作家は誰でしょうか?

●久保:こういう質問は照れるんですけども・・・。
いろんなものを広く読む方だとは思いますが、いわゆるハマって、その方の作品ばかり集めて没頭した・・となると、その最初は椋鳩十さんですね。子供向けの動物文学。

その後は、中学時代にはSF全般、大学時代にはミステリ全般・・という感じです。大学時代の生協でブレイク前の村上春樹さんの『風の歌を聴け』を手に取って、かなりショックを受けました。で、すべて買ってきて徹夜続きで読んだ覚えがあります。

全般的に、好きな作家としては文体のやわらかい方が多いですね。代表としては堀江敏幸さんとか、北村薫さんとか、横田順弥さんとか、川上弘美さんとか・・。
あと、初心を取り戻したいときには、岡山出身の内田百閒を読みます。小手先が存在しないずっしりとした存在感のようでいて、でもすべてが小手先かもしれないという、この危うさがたまらないと感じます。

「書房」の光景 


●竹田:ご自身でも作品の執筆はされますか?

●久保:何度かトライしていますが、照れが入りやすくて、うまくいかないですね。
それでも、いつかは書いてみたいと思います。どなたかプロデュースかコラボしていただけないでしょうか(笑)

●竹田:編集者さんから作家になられた方がたくさんおられますが、久保さんもそのようなタイプかと思いまして。

ほかにも音楽とか車などについてもフェイスブックに投稿されたりしておられて、いろいろ多彩なことにご関心をお持ちですね。

●久保:「ものづくり」にずっと興味があるんです。

父親は自動車メーカーの設計士でしたし、祖父は満州に工場長として赴任した後、広島に帰ってからは工場系の経営コンサルタント的なことをしていました。だから、家には製図板とか設計図、工具が当たり前のようにありました。理系のことも文系のことも両方わかる・・というじぶんの特性はその環境のおかげですね。テレビを観ていても「この建物はこうやってつくったんだ」とか、「このCMはこうやってつくったに違いない」いう会話を誰かがするんです(笑)。

だから、自動車にしても音楽にしても、あるいは本にしても建築にしても、アートにしても料理にしても、そして会社にしても、それが誰がどのように作ったのか・・という部分がもっとも興味があります。ついつい調べたり聞いたりしてしまいます(笑)。

●竹田:いつも「作る方へ」気持ちが向いている。
ものを作る人に対してご興味を持たれているんですね。

●久保:偶然にしろ、考え抜いたにしろ、最初にその「モノ」を作った人がいなければ、ぼくらの世界はこんなにも豊かにはならなかった・・といつも考えます。だから「作る」方を応援するようなことをしてみたいですね。ファンドやオーガナイズという意味ではなくて、取材して方向性をきちんと理解して、背中を押したい・・・そんなことを最近考えています。

第三者がインタビューすることで、本当の気持ちが整理されて呼び出されることがあります。それができないかなと。

今回、竹田さんにこの取材をお願いしたのも、最初にその実験をしたかった・・ということですね。このへんの話は、また次回にお話させていただきたいと思います。

●竹田:あっという間に一時間半もたってしまいましたよ。

今回は、これでお開きということで、「しおまち書房」のこれからの計画については、また日をあらためて伺おうと思います。

●久保:竹田さん。宮島の絵(※)でお忙しい時期にも関わらずありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

●竹田:拙いインタビューにお付き合いくださいまして、どうもありがとうございます。
お身体の方をお気をつけて、これからのご活躍を楽しみにしています。
次回も、よろしくお願い致します。

「書房」の光景 

  • ※註・・・竹田さんは、今年の8月に貼り替えられる予定の宮島『町家通り』の各戸の軒先に吊るす行灯の絵(50枚)に取り組んでいるところです。
  • 文中で紹介した米田 智彦さんの本。自らが固定した職場や住所を持たない実験的生活を経た後、「ノマドワーク」「ソーシャルファンド」など、じぶんの人生をデザインするあたらしい形の生き方(副業や起業)を取材されています。

※このインタビューの続きは、こちら

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